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心が荒みに荒みまくったので人間の悪口でも書くかと思って一通り書いてみたら全部自分に刺さってしまったので本当におしまいになりました。
人間の悪口に対する一つに「自分の言葉で喋れや」があるんですね。というのも自分を形作るものの一つに言葉があるのでは〜?と思うからなんですけど、どっかで聞いたような耳触りのいい言葉をツルッツルなぞってるんじゃだめじゃない?だめじゃないのかもしれないけど僕はそれは嫌なんですよ。ちゃんとその言葉を噛み砕いて飲み込んでそれを自分の言葉として発することで周囲の人達は「はいはい、こいつはこういう人なのね」と思うわけじゃないですか。耳触りのいい言葉をツルッツルなぞってるのと、それを噛み砕いて飲み込んで自分の言葉として発してるのの区別を他人がちゃんとしてくれるのかは知らないし、ひょっとしたらそんなことを気にして言葉を聞いてくれる人なんて全然いないのかもしれないけど。
もちろん適当に会話をすることがいけないなんて否定しないし、それが楽な時もあるし、それが楽しい間柄もあるからそこまで文句言う気はないです。わかるわかる。
ここまで。ここまでのこれってマジで僕の言葉なの?なんか読んだり聞いたりしたことがなんとなく頭に残っててそれを書いてるだけでは?「俺は分かってるから」みたいな面して色んなものの感想を言ってる時その言葉って他の誰かが言ってたものをなぞってるだけなんじゃないの?
っていうここまでのあれもだめです。自分の言葉に責任を持たない保険をかけたような考えをしてんなやって気持ちになりますね。自信を持てや。
今2016年だぞ。いつまでもサブカルがどうとか承認欲求がどうとか言ってんな。サブカルとか承認欲求とかを面白おかしくいじりながら叩くな。自分が好きなものを自分と同等のところまで引き摺り下ろすな。何かものを言う時は一回自分を省みてからにしろ。殺すぞ。
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神様はいないし神様に祈るのは何か物事がダメになってしまった時に神様なんていないんだ、と、神様が存在しないことのせいにするためなんだろうなあ。もしいたとしてもそれは全知全能で全部の人間の運命を決めてるなんてことはなくて、なんとなく要所要所で災害を起こしてみたり奇跡みたいなことを起こしてみたりするだけで、それで人が死んだり蘇ったりしてもそれは神様の起こした事象の結果であって運命とかもないんだろうなあ。だから人が死んだからってそれに意味はないしそれぞれが勝手に意味を持たせてるだけで、は〜ぁなんも意味ねえ。
みたいなことを考えながら煙草を買いに行ったらいつも行ってる煙草屋が忌中で休みだった。いつもライターや飴やガムをくれて、「髭のあるのとないのとじゃあ全然違くて誰だかわかんないね」って言いながら僕の吸う煙草を2個出してくれてた婆さんが死んだっぽい。
婆さん81歳だったんですね。
2年ちょっと、週に4回くらい顔を合わせてた年齢どころか名前も知らない婆さんが死んで、何かの節目になるのかなと思ったけど僕の中にはまだその死に意味を持たせる土壌はできてなかったようで「今までありがとうね、ゆっくり休んでね」という気持ちになっただけだった。
必ずしも人の死に意味を持たせる必要はないし「今までありがとうね、ゆっくり休んでね」の気持ちで今は十分だよなと思うけど、このことをもし何かの拍子に思い出すことがあれば、それが意味を持つようになるときだといいなと思います。