全部投げ出してどこかに逃げてしまいたいと思うような事柄はあるけれど全部投げ出して逃げる程の問題じゃないよなと思い直して酒を飲んで一瞬だけ忘れて明日の朝八時にはバイト先で後悔をする。
彼女が男の人と出かけてそのままバイトに行き、入れ違いのようにバイトから帰ってきた僕は電球の切れたトイレでおしっこをしながら彼女の名前を呼びました。
死にたいと言う彼女は僕が毎日どれくらい死にたいと思ってるのか知ってるのだろうか、知らないでいてほしいな、僕は彼女の死にたいがどれほどのものか理解できてないし、一方的に知られるのはなんだかとても嫌なので。そんなの不公平だな、と思います。
彼女に限った話でなく、他人のことを理解なんてできないし他人から理解もされてないと思うのだけど、なんとなくぼんやりとわかるな〜ってことはあって、他人もきっと僕に対してそういうのがあって、そこで止まっているのが一番いい距離感なんでしょうね。
他人もきっと僕に対してそういうのがあって、というのは傲慢ですね。何を根拠に自分が他人から見られてると思ってるんでしょうね。皆さんは誰も僕を見てないし知らないと思います。
皆さん。

人の日記を読むと日記を書きたくなるのではてなブログをよいしょと開いてシュッシュっとフリック入力をするのだけど人の日記みたいに「ああ〜」となる文章が書けないのでぱっと閉じてしまいますね。
先月だか先々月だかに地元の友達二人とこっちでお酒を飲んだ。21歳になったしもう22歳になる年なので真面目な話とかするかなって思ったけど全然そんなことなくて女の子の話と「ここであれを見てこういう気持ちになった」みたいな話ばかりしていて馬鹿って感じだったし楽しかった。延々とオチのない話をしながら新宿西口のビル風に吹かれながら缶ビール飲んで夜行バスを待ってられるなと思ったけど、普通に時刻通りにバスは来たし別れを惜しむ暇もなく終電のためにダッシュして、「楽しい〜」と思った。帰りの電車ではずっと俯いてた。早く楽しさを明日への気力に変換できるようになりたい。
日比谷の野音ceroとか聴いて気持ち良くなって、人のセックスの話を聞いて爆笑できたのもよかった。大人になっても人のセックスの話を聞いて爆笑していたいし、大人になってもセックスの話をしてくれる友達がいてくれるといいなと思う。
今は毎日ゲロ吐きそうなことと楽しいことが同じくらいあってそれに対応するので精一杯だけどもっとちゃんと漠然とでも先のこととか考えたりできるようになりたいなと思いました。
おすぎとピーコのピーコは普通そうだけどおすぎの方は若い頃パイパンにしてましたって感じがあって怖いよね。

毎日楽しい。
クソゴミが、ブチ殺すぞ、バイト辞めてえ、学校いきたくねえ、課題やりたくねえ、寝ててえ、といったことを考えながら寝れないまま課題を終わらせてバイトに行って学校に行ってだれもブチ殺さずにクソゴミがという気持ちだけ積もらせて歌いながら自転車をこいで帰ってご飯を食べて横になる生活。
両手放しで自転車に乗れる側の人間なので歌いながらHIPHOPの人たちの手の動きをしている。その時間が今の生活で一番ニコニコしていると思う。

二ヶ月に一回くらい「俺は何も好きじゃない」みたいな気持ちになって床に横になる以外何もできなくなる時があるのだけど、この前それになった時に「俺は別に音楽や漫画やファッションやなんか文化的なあれこれみたいなのに全然詳しくもないのに「まあそれなりに知ってるし好きっすよ」みてえな態度を取ってるけどこの詳しくなさは好きなんて言ってはいけないレベルのアレで、本当にそういうのが好きな人たちからゴミだと思われてるんだと思う。ブログの文章も頭悪そうだし」みたいなことを風呂で彼女に一方的に捲し立てるクソゴミそのもののことをしてしまった。
彼女は「お前は普通に人よりちょっとだけそういうのが好きな人で普通だから大丈夫だよ」って言って僕は言ってほしいこととなんかちげえなと思って「うん」って言ってお風呂あがって彼女のケツ揉んで横になって彼女のケツ揉んでるうちにちゃんと寝れて次の日の朝に「寝れてよかったな」と思った。

今日は起きたら昼を過ぎてて、急いだら好きな教授の講義に間に合ったけど雨も風も強くて寝ぼけた頭で好きな教授に「いけない子だな」って言われる妄想をしながらサボタージュした。
妄想の続きを夢で見れたらと思いながら強まってく雨音を聞いていたら本当に寝てしまっていて、目覚めたら風がビュービュー雨がザーザー外は真っ暗で、8畳のワンルームが船になって一人嵐の中突き進んでるみたいで楽しくなってceroを歌った。夢は妄想の続きじゃなくてスティーブンセガールが私を守っていろいろな人間を殺す夢で、私はセガールの厚い胸で「私を一人にしないで、どこへも行かないで」って泣いてた。おっぱいも大きくなっていた。
一度昼頃に起きてから何も食べてないことに気づいた途端にお腹が空いてしまってインスタントのコーンポタージュを飲んだけれど私の胃の中に住まう暴君は「もっとだ、こんなものじゃ足りない」と寝起きの私の体に鞭を打ち、外に食べ物を食べに行くように急かした。
誰にも会うつもりもなかったし雨も風も相変わらず酷かったから部屋着につっかけで近所のデニーズに行こうと思ったらサークルで同期の酔った勢いでキスだけした男の子から連絡が来たから「まあ、一人でご飯食べるよりは」と思って呼んだら自転車で来た。犬みたいだなって思った。パブロフ
デニーズでは彼の最近好きな音楽や読んだ本の話を聞いて適当に相槌を打っていた。彼の中では今どついたるねんとpunpeeがきてるらしい。人生の選択。こんな適当な格好で適当な相槌しか打たない女にデニーズでこんなに好きなものの話を楽しそうにして、友達少ないのかなって思った。私が見るとき、彼は大体1人か大勢の中の端っこにいるし。そんなとこが好きでもないし嫌いでもない。
一時間半くらいデニーズにいて、またこの風雨の中30分自転車漕がせて帰らせるのも可哀想だからファミマでお酒買って家に連れ帰って今はシャワーを浴びさせてる。本当に犬みたいだな。
彼の好きな音楽の話を思う存分話させてやろう。

雑多なものが好きだ。
意味のわからない言葉がたくさん出てくる本やノイズの多すぎる音楽、少し距離を置いて見る人混み。理解が追いつかなくて焦るあの気持ちがどんどん気持ち良くなる。

人混みや、電車の窓から見えるマンションやアパートの灯を見て「この人にもその人にもあの人にも、それぞれ生活があって悩みがあって、この部屋にもその部屋あの部屋にも、それぞれ生活があって事情があって」と考える。どんな生活があってどんな悩みがあってどんな事情があるのかなんて分からないけれど勝手に想像して勝手に涙が出たりすることもある。雑多なものはこちらの勝手を全部無視してくれるのが良い。

先日、学芸大学前まで一時間弱かけて展示を見に行った。写真の展示。

TumblrInstagramでその人の写真を見ては「良さ〜与謝蕪村〜」みたいなことを言っていて、勇気を出して一人で行った。

展示は思ってた以上の与謝蕪村ぶりで、思わず「得たきものはしいて得るがよし。見たきものはつとめて見るがよし」って言った。言ってない。

壁二面に所狭しと貼られた写真は、求めてる雑多さにとても近くて、あっ、あぁ〜って言いながら射精した。射精してない。した。

好きな写真もあったし当然初めて見る写真もあって、考えて貼ったんだろうなっていうところもあってでも全部がそういうわけじゃないんだよ〜って教えてもらって、こっちの勝手全部許してくれる雑多さだった。

見たことある写真でも、他の写真と混ざって見ると「あっこの写ってる人こんなことがあったんじゃないかな、こんな気持ちなのかな」みたいな新たな勝手な気付き?想像が出来て楽しかった。

あっもう自分はバカで低俗な人間なので楽しかった以上にしっくりくる言葉見つかりません。楽しかった。

展示見終わった後の時間も楽しくて「来てくれてありがとう」みたいなこと言われたけど普通にこっちがありがとうって感じだった。

リコーのGR、10万ちょいするのウケるし貯金しよ。


ホラン千秋の乳輪は多分めっちゃ綺麗だと思った。

10代のことを思ってる。
20代になって1年経ってようやく10代には戻れないんだということを、自分はもう子供ではないんだということを理解してきた。
具体的な後悔はあまりない。バスケを続けていれば、だとか、楽器をもっと早く始めていれば、だとか、もっと友達を作っていれば、なんてことは大したことじゃあない。これからだっていつでも(多少時間の制約はあるだろうが)バスケをまた始められるし楽器の練習はできるし友達だって作れる。ただあの頃のバスケに対する熱量やベース上達への執着、友達との無茶や馬鹿をしたもん勝ちの感覚なんかはもう戻ってはこないんだと思うと何もやろうと思えない。
腹を抱えて笑ったりどうにもできないことに対して泣いたり、そういうことをこれから先何度経験できるのだろうか。腹を抱えて笑うことは随分減った代わりに落ち着いた心地良い会話が増えたことは退屈だとも悪いこととも思わない。人目も憚らず泣くようなことはまずなくなった。悔しくても悲しくても唇を噛んでグッと耐えたり、ただ呆然と立ち尽くしてしまうことが増えた。大人になったと思うのと同時にどうしようもなく10代の頃の毎日がフッと頭をかすめる。
21やそこらなんてまだまだ若いしこんなこと言うには早いし軽いとは思うが、これから先何年も10代の頃を思い返して、30代になれば20代も思い返して、40代になれば30代も思い返して、と思い返す過去が増えていくことがどうしても憂鬱で仕方がない。20代特有のあれでしょ(笑)とか後悔のない10代を送らなかった代償とかそういう糞みたいなあれは全部糞だから、30、40になって自分が今の自分にそういう糞を言ったら絶対殴ってしまうな。
「もし過去の自分に何か伝えられるなら?」という質問に「あれしとけこれしとけ」と考えてた高校生の頃の僕は、未来から来た僕に「たくさん泣いたり笑ったりしてくれ」と言われたらどんな顔してどう受け止めてくれるんだろうか。

年が明けてまるっと一ヶ月過ぎたところで突然日記というものの存在を思い出したので書きます。

年末は実家に帰っていた。昼間からビールを飲んだり昼も夜もなく寝たりして五日間ほど過ごしたが最高以外に言うべきことが見つからない。ただまあ九ヶ月ぶりの実家や自分の部屋は僕に対してどこかよそよそしい雰囲気だった。家族や友人が、ではなく、家や地元の土地が。
以前にも地元を離れ一人暮らしをしていた時期があって、その頃に帰省しても今回のようなよそよそしさは感じなかったと思う。なんだろう。僕が東京の人になって、地元にとっての余所者になってしまったのかしら。もしそうなのだとしたら、たった九ヶ月程度で余所者だなんて薄情だ。余所者になった僕が薄情なのか、僕を余所者にした地元が薄情なのかは分からないけれど。

実家で暮らしていた頃、出先から帰る時は飼い犬の様子を見るためにいつも庭から入るようにしていた。
飼い犬は去年の四月だか五月に死んだ。四月かな。あまり覚えてない。たった九ヶ月程度なんて書いたけれど九ヶ月は案外長いし薄情なのは僕かもしれない。
危篤と言われて新幹線に飛び乗った日、東京は暖かくて地元は寒くて、地元に着いた時は「やあ、コートを持ってきて正解だった」なんて思ったけど走って帰ったため「コートいらなかったな」と思ったことは覚えてる。犬は僕が家に着いて本当に少しの時間一緒に過ごしてから死んだ。ひとしきり泣いて、翌日に津波で何もかもがなくなった土地にあるペット火葬場に連れて行って、骨を綺麗な壺に入れて散歩をした。犬は多分海を見るのは初めてだったと思う。それから壺から100均で買った携帯灰皿に少しだけ骨を移して東京に持って帰ってきてたまに出かけるときに鞄に入れて散歩気分を思い出している。犬の供養か、思い出の供養か、何れにしても生きてるうちにもっとしとけばよかったなどと月並みな後悔をたまにする。みなさん犬は大切に。
今回の帰省では犬が死んだ感傷に浸るためにわざわざ庭に回って家に入るなんてことはしなかった。大人なので。
一通り荷物を整理してから庭に出ると、犬小屋もご飯のお皿も水のお皿もそのまま置かれていた。とても綺麗に洗われているようで、これじゃあ成仏できないんじゃあないだろうかと心配になった。成仏と言えば夢に犬が出てきたのでオータムジャンボを買おうと思ったのだが結局買わずじまいだった。買っていれば今頃は億万長者だったと思う。うちの犬はとても利口だったので。

地元は概ね楽しかったしやはり母親の料理はおいしかったので満足のいく帰省だった。
東京に戻ってきてからはテーブルを拾ったり学校が始まったり二十一歳になったりした。
今年の目標は「彼女に煙草を買ってもらうのは月に二箱まで」。