じゃあ、ありがとう。またね。気をつけて帰ってね。

誰と会って何をしても帰り際に言う言葉がこれ。何に対するありがとうなのか分からなくてもありがとうと言って、次はないかもしれないなんてことをこれっぽっちも考えてないような顔をしてまたねって言う。気をつけて帰ってほしいはその都度本当に思ってる、と思う。無事に帰り着いてくれたら、少なくとも「また」の可能性が0になることはない。また会いたいとかもう会いたくないとかあまり考えてはなくて、残せる可能性は残しておきたくて「また」を使う。自分の為の「また」と多分相手を思っての「気をつけて」。今気をつけて帰ったって、明日になったら世界が終わってるかも、なんてことはなくても、僕か相手かどっちかが終わってるかもしれない。それでも、また。

またねを色んな人として色んな人と「また」を無くしてを繰り返して多分その都度色んな気持ちになってきたんだと思うけれどほとんど忘れた。出来事も気持ちも思い出せないことばっかりなのに、駅に消えてく人を見送ったり、自分が改札を通り抜けるその瞬間に、具体的な記憶や気持ちを伴わない感傷が押し寄せて泣きそうになる。また、と言う言葉を飴玉みたいに口の中で転がしながら色んなものを目に映しながら何も見ないで帰って、また色んなことを忘れて暮らして、誰でもいいから誰かに会いたくなって、誰でもいい誰かを選びたくなくて、誰にも会いたくなくなったりしても、誰かが遊んでくれて、じゃあ、ありがとう。またね。気をつけて帰ってね。