ずっと喉の奥につっかえてることがある。あんまり人に話すことじゃないなとは思うけど大して人が見に来るブログでもなし、書きます。

中学生の頃僕はバスケ部の部長をしていて、同学年の人達とも後輩達ともヘラヘラとしながら接していた。

当時、部活を終えたら友人達と一緒に帰り、通ってた学校の多くの生徒が住むマンションのエントランスでだらだらと喋るということが日課になっていて、その日も地方の中学生にしては割と遅い時間までだらだらべらべらと喋っていると、そのマンションに住むバスケ部の後輩がエントランスに入ってきた。彼は学外のサッカーのクラブチームに所属していて、中学の試合には出られないからとバスケ部入部してきた子で、背が低く声変わりもしていない、いかにもサッカーやってますって顔と髪型をしている、明るく礼儀正しい子だった。

お疲れ様ですと言う彼にどこかに出かけてたのかと尋ねると立ち読みをしに行っていたと答えた。特に何の考えもなく、いつものようにヘラヘラと、「そっかー早く帰んなよ、お母さん心配するからね」と言った。彼は「はい、先輩達もっすよ、おやすみなさい」と答えて階段を駆け上がって行った。階段を駆け上がる音が聞こえなくなった頃に友人が「あいつの母さん事故か病気で亡くなってるよ」と言った。決して僕を責めるようなつもりで言ったのではないことはなんとなく分かった。怒りでも悲しみでもなく、やっちゃったな〜程軽くもない、そういうニュアンスの言葉だった。

次の日からも僕は彼と普通に接するようにした。謝れなかった。謝ることで彼に変に気を使わせるのではないか、悲しいことを思い出させてしまうのではないか、と思うと謝れなかった。当時はそう思っていたが、今は単純に怖かったのだろうなと思う。彼との関係が変わること、嫌われてしまうことが怖くて知らないふりをした。

8年間、彼と交わした短い会話も階段を駆け上がって行った後の友人達の表情もその場の空気もずっと覚えている。ただ、帰り際の彼の表情だけが思い出せない。笑っていたような気がする。いつもの笑顔だったのか、翳りのある笑顔だったのか、そもそも笑顔であってほしいという願望のせいでそう思っているだけで、真顔だったのかもしれない。思い出せない。

先日、その場で一緒に会話をしていた友人に久し振りに会い、当時のことを話すと「知らなかったのだから仕方ない。そのあと謝らなかったのは褒められたものではないが、中学生が扱うには少し荷が重たい話だから」と言われた。荷が重たい話だから何なのだろうなと思う。それも仕方ないのだろうか。どうしようもなかったのだろうか。

彼はこのことを忘れてくれているといいなと思う。許してくれているといいななんて都合の良いことは考えられない。許すも許さないもなく、忘れていてほしい。僕は忘れたくないし忘れちゃいけないな、と思う。気付けないものはどうしようもないが、自分が人を傷つけたことに気付いて、その相手がもう謝ることができない相手であるような時には、できる限りそのこと(相手を傷つけた言葉や行動)を覚えていたい。そうすれば同じように人を傷つけることもなくなる。ただ自分のせいで自分の胸につっかえるものが増えるだけで、たまに吐き出したくなったり、無理やり飲み込みたくなったりすることもあれど、そのせいで誰に迷惑をかけるでもない。ただもうつっかえるスペースもないくらい人のことを傷つけて謝ることができていない記憶がある。誰か、どれか一つでも許してほしいという気持ちをぎゅうぎゅうの喉の奥にねじ込むと吐きそうになる。

から、吐いてしまいました。

ごめんなさい。