神様はいないし神様に祈るのは何か物事がダメになってしまった時に神様なんていないんだ、と、神様が存在しないことのせいにするためなんだろうなあ。もしいたとしてもそれは全知全能で全部の人間の運命を決めてるなんてことはなくて、なんとなく要所要所で災害を起こしてみたり奇跡みたいなことを起こしてみたりするだけで、それで人が死んだり蘇ったりしてもそれは神様の起こした事象の結果であって運命とかもないんだろうなあ。だから人が死んだからってそれに意味はないしそれぞれが勝手に意味を持たせてるだけで、は〜ぁなんも意味ねえ。

みたいなことを考えながら煙草を買いに行ったらいつも行ってる煙草屋が忌中で休みだった。いつもライターや飴やガムをくれて、「髭のあるのとないのとじゃあ全然違くて誰だかわかんないね」って言いながら僕の吸う煙草を2個出してくれてた婆さんが死んだっぽい。

婆さん81歳だったんですね。

2年ちょっと、週に4回くらい顔を合わせてた年齢どころか名前も知らない婆さんが死んで、何かの節目になるのかなと思ったけど僕の中にはまだその死に意味を持たせる土壌はできてなかったようで「今までありがとうね、ゆっくり休んでね」という気持ちになっただけだった。

必ずしも人の死に意味を持たせる必要はないし「今までありがとうね、ゆっくり休んでね」の気持ちで今は十分だよなと思うけど、このことをもし何かの拍子に思い出すことがあれば、それが意味を持つようになるときだといいなと思います。