年が明けてまるっと一ヶ月過ぎたところで突然日記というものの存在を思い出したので書きます。

年末は実家に帰っていた。昼間からビールを飲んだり昼も夜もなく寝たりして五日間ほど過ごしたが最高以外に言うべきことが見つからない。ただまあ九ヶ月ぶりの実家や自分の部屋は僕に対してどこかよそよそしい雰囲気だった。家族や友人が、ではなく、家や地元の土地が。
以前にも地元を離れ一人暮らしをしていた時期があって、その頃に帰省しても今回のようなよそよそしさは感じなかったと思う。なんだろう。僕が東京の人になって、地元にとっての余所者になってしまったのかしら。もしそうなのだとしたら、たった九ヶ月程度で余所者だなんて薄情だ。余所者になった僕が薄情なのか、僕を余所者にした地元が薄情なのかは分からないけれど。

実家で暮らしていた頃、出先から帰る時は飼い犬の様子を見るためにいつも庭から入るようにしていた。
飼い犬は去年の四月だか五月に死んだ。四月かな。あまり覚えてない。たった九ヶ月程度なんて書いたけれど九ヶ月は案外長いし薄情なのは僕かもしれない。
危篤と言われて新幹線に飛び乗った日、東京は暖かくて地元は寒くて、地元に着いた時は「やあ、コートを持ってきて正解だった」なんて思ったけど走って帰ったため「コートいらなかったな」と思ったことは覚えてる。犬は僕が家に着いて本当に少しの時間一緒に過ごしてから死んだ。ひとしきり泣いて、翌日に津波で何もかもがなくなった土地にあるペット火葬場に連れて行って、骨を綺麗な壺に入れて散歩をした。犬は多分海を見るのは初めてだったと思う。それから壺から100均で買った携帯灰皿に少しだけ骨を移して東京に持って帰ってきてたまに出かけるときに鞄に入れて散歩気分を思い出している。犬の供養か、思い出の供養か、何れにしても生きてるうちにもっとしとけばよかったなどと月並みな後悔をたまにする。みなさん犬は大切に。
今回の帰省では犬が死んだ感傷に浸るためにわざわざ庭に回って家に入るなんてことはしなかった。大人なので。
一通り荷物を整理してから庭に出ると、犬小屋もご飯のお皿も水のお皿もそのまま置かれていた。とても綺麗に洗われているようで、これじゃあ成仏できないんじゃあないだろうかと心配になった。成仏と言えば夢に犬が出てきたのでオータムジャンボを買おうと思ったのだが結局買わずじまいだった。買っていれば今頃は億万長者だったと思う。うちの犬はとても利口だったので。

地元は概ね楽しかったしやはり母親の料理はおいしかったので満足のいく帰省だった。
東京に戻ってきてからはテーブルを拾ったり学校が始まったり二十一歳になったりした。
今年の目標は「彼女に煙草を買ってもらうのは月に二箱まで」。