家族旅行とか幼馴染の家に泊まりに行くとかそういう目的じゃなくて、初めて他人を介さない自分自身の目的のために一人で東京に来た時、舐められたくないなと思って、煙草をキャスターマイルドからショートホープに変えたのなんだったんだろうな、と思う。

その後上京して、また舐められたくないというのと安いという理由で煙草をゴールデンバットに変えて、東京のことを何も知らずに、ただ大きいビルは違うという気持ちでよくわからない駅で降りてブラブラして、結局新宿に戻ってきて早稲田通りにいる大学生を見ながら「こいつらとは違う」って思って、高田馬場で幼馴染と待ち合わせて、飲みながらその日見た学生達の悪口を聞いてもらって、護国寺まで歩いて銭湯に行って幼馴染の家でまた飲んで、学校に行けば見栄を張ってどこどこで買い物して〜って話してた自分、本当に馬鹿で可哀想で、自分で言うのは恥ずかしいから、人に愛すべき思い出だねって言ってほしい。

部屋の掃除、でかい虫が出てきてビビるも抜け殻、本体を見つける、ヌラヌラとしていて素早い、抜け殻にどうやって入ってたのかわかんないくらいでかい、ティッシュで掴むも「こいつ蜘蛛だ!殺せない!」

12歳、知らない女の子と4000万円を盗む算段、強盗は成功、土砂降りの中で現金を傘に走り回る、楽しそうな女の子の笑顔、見たことある顔「○○○さん?」そうだやっぱり彼女だ

25歳、友達から電話「髪を切りたいって話したら23時くらいに行くねって言われて、なんか断る暇もなくて、やだなあ、これそういう感じ?」「そういう感じだしお前はそういうところが本当に馬鹿だよ、そういうところというのはそういう感じになることを言ってるんじゃなくて、それを僕に話すところのことを言ってる」あと30分で23時、走ったら何分で着くかな

 

の三本立ての夢

ずっと喉の奥につっかえてることがある。あんまり人に話すことじゃないなとは思うけど大して人が見に来るブログでもなし、書きます。

中学生の頃僕はバスケ部の部長をしていて、同学年の人達とも後輩達ともヘラヘラとしながら接していた。

当時、部活を終えたら友人達と一緒に帰り、通ってた学校の多くの生徒が住むマンションのエントランスでだらだらと喋るということが日課になっていて、その日も地方の中学生にしては割と遅い時間までだらだらべらべらと喋っていると、そのマンションに住むバスケ部の後輩がエントランスに入ってきた。彼は学外のサッカーのクラブチームに所属していて、中学の試合には出られないからとバスケ部入部してきた子で、背が低く声変わりもしていない、いかにもサッカーやってますって顔と髪型をしている、明るく礼儀正しい子だった。

お疲れ様ですと言う彼にどこかに出かけてたのかと尋ねると立ち読みをしに行っていたと答えた。特に何の考えもなく、いつものようにヘラヘラと、「そっかー早く帰んなよ、お母さん心配するからね」と言った。彼は「はい、先輩達もっすよ、おやすみなさい」と答えて階段を駆け上がって行った。階段を駆け上がる音が聞こえなくなった頃に友人が「あいつの母さん事故か病気で亡くなってるよ」と言った。決して僕を責めるようなつもりで言ったのではないことはなんとなく分かった。怒りでも悲しみでもなく、やっちゃったな〜程軽くもない、そういうニュアンスの言葉だった。

次の日からも僕は彼と普通に接するようにした。謝れなかった。謝ることで彼に変に気を使わせるのではないか、悲しいことを思い出させてしまうのではないか、と思うと謝れなかった。当時はそう思っていたが、今は単純に怖かったのだろうなと思う。彼との関係が変わること、嫌われてしまうことが怖くて知らないふりをした。

8年間、彼と交わした短い会話も階段を駆け上がって行った後の友人達の表情もその場の空気もずっと覚えている。ただ、帰り際の彼の表情だけが思い出せない。笑っていたような気がする。いつもの笑顔だったのか、翳りのある笑顔だったのか、そもそも笑顔であってほしいという願望のせいでそう思っているだけで、真顔だったのかもしれない。思い出せない。

先日、その場で一緒に会話をしていた友人に久し振りに会い、当時のことを話すと「知らなかったのだから仕方ない。そのあと謝らなかったのは褒められたものではないが、中学生が扱うには少し荷が重たい話だから」と言われた。荷が重たい話だから何なのだろうなと思う。それも仕方ないのだろうか。どうしようもなかったのだろうか。

彼はこのことを忘れてくれているといいなと思う。許してくれているといいななんて都合の良いことは考えられない。許すも許さないもなく、忘れていてほしい。僕は忘れたくないし忘れちゃいけないな、と思う。気付けないものはどうしようもないが、自分が人を傷つけたことに気付いて、その相手がもう謝ることができない相手であるような時には、できる限りそのこと(相手を傷つけた言葉や行動)を覚えていたい。そうすれば同じように人を傷つけることもなくなる。ただ自分のせいで自分の胸につっかえるものが増えるだけで、たまに吐き出したくなったり、無理やり飲み込みたくなったりすることもあれど、そのせいで誰に迷惑をかけるでもない。ただもうつっかえるスペースもないくらい人のことを傷つけて謝ることができていない記憶がある。誰か、どれか一つでも許してほしいという気持ちをぎゅうぎゅうの喉の奥にねじ込むと吐きそうになる。

から、吐いてしまいました。

ごめんなさい。

終わらせるべきことを終わらせるタイミング

あるいは終わったことをもう一度終わらせること

 

元彼に誘われて渋谷のプラネタリウムに行った。12時待ち合わせ。私が着いたのは13時15分。元彼は「12時半に着いたからコーヒー飲んで煙草吸ってぼーっとしてちょうどいいくらい」と言ってヘラヘラしてて、なんとなく気に食わなかったから、私は「こういう時は怒るんだよ」と言って怒った。8ヶ月ぶりに会った元彼はまた東京の人みたいな見た目になってて、そこもなんとなく気に食わなかった。暑い暑いと言いながらゾンビみたいに歩く元彼と腕がぶつかるくらいの距離で歩いていたら「僕汗かいてるから触ると気持ち悪いし離れなよ、あと暑いし」と少しムスッとしたように言うので、私は「こういうときは喜ぶんだよ」と教えてあげた。

渋谷区文化センター大和田について、14時半から上映の天の川の話がメインになるプラネタリウムのチケットを買い、先に昼食をとった。4年前に同じタイミングで出た地元で誰が結婚したとか誰が子供産んだとかそういう話をしながら、私はパッタイを、元彼はカオマンガイを食べた。元彼は鳥肉をたくさんくれて、私は食べきれなくなったもやししか残ってないパッタイをあげた。

上映時間ギリギリにプラネタリウムに入ると、二人並んで座れず、バラバラに離れて天の川の話を聞きながら天井に映された星を見た。元彼は私のこと好きなのかわからないし、私も元彼のことが好きなのかわからないけれど、元彼とは大体半年に1回こうして会う。現代の織姫と彦星だ、と思いながら少し離れた席の元彼を見ると、ぐっすりと眠っていた。

綺麗だったね。寝てたくせに。また来たいな。起きてられるならまた一緒に。レッドブル大量摂取してくよ。はいはい。

お茶をして姉に頼まれた買い物をしてブラブラと歩いていたら汗が本当にひどいことになってしまい、2人してTシャツを買って表参道ヒルズのトイレで着替えた。表参道ヒルズ近くの小学校でお祭りがやっていて、どうにもビールが飲みたくなってしまった私たちは、帰りに楽になるように新宿へ行って笑笑に入った。新宿から私の最寄りまで15分、元彼の最寄まで50分。

はーいと言いながら乾杯。元彼は乾杯をするときにおつかれと言わない。「いつも何しても楽しいから全然疲れてないし」と以前言っていた。馬鹿でふざけた人だなと思う。その馬鹿さがなんとなく嫌で別れたのが5年前だ。今はその馬鹿さに安心する。あまり東京に友達のいない私は、基本的に自宅か数少ない友達のうちの1人の家でしかお酒を飲まない。久しぶりに外で19時台から飲み出したアルコールが、慣れない時間と暑さと日頃の疲れにやられた体にぐんぐん広がっていった。「暑かったね、こっから帰って風呂入ってってしんどいよ」と言う元彼に「帰らなきゃいいじゃん」と言ってしまい、「違う不可抗力だ、アルコールが変な速さで変に広がって」と付け加えたけど、無様だったと思う。

22時にお店を出て、当たり前のように差し出された手を当たり前のように握り返して並んで歩いた。あれもきっと不可抗力だ。

新宿駅前でバイバイ

またね。次は半年後じゃなくてもいいんだよ。

心が荒みに荒みまくったので人間の悪口でも書くかと思って一通り書いてみたら全部自分に刺さってしまったので本当におしまいになりました。

人間の悪口に対する一つに「自分の言葉で喋れや」があるんですね。というのも自分を形作るものの一つに言葉があるのでは〜?と思うからなんですけど、どっかで聞いたような耳触りのいい言葉をツルッツルなぞってるんじゃだめじゃない?だめじゃないのかもしれないけど僕はそれは嫌なんですよ。ちゃんとその言葉を噛み砕いて飲み込んでそれを自分の言葉として発することで周囲の人達は「はいはい、こいつはこういう人なのね」と思うわけじゃないですか。耳触りのいい言葉をツルッツルなぞってるのと、それを噛み砕いて飲み込んで自分の言葉として発してるのの区別を他人がちゃんとしてくれるのかは知らないし、ひょっとしたらそんなことを気にして言葉を聞いてくれる人なんて全然いないのかもしれないけど。

もちろん適当に会話をすることがいけないなんて否定しないし、それが楽な時もあるし、それが楽しい間柄もあるからそこまで文句言う気はないです。わかるわかる。

ここまで。ここまでのこれってマジで僕の言葉なの?なんか読んだり聞いたりしたことがなんとなく頭に残っててそれを書いてるだけでは?「俺は分かってるから」みたいな面して色んなものの感想を言ってる時その言葉って他の誰かが言ってたものをなぞってるだけなんじゃないの?

っていうここまでのあれもだめです。自分の言葉に責任を持たない保険をかけたような考えをしてんなやって気持ちになりますね。自信を持てや。

 

今2016年だぞ。いつまでもサブカルがどうとか承認欲求がどうとか言ってんな。サブカルとか承認欲求とかを面白おかしくいじりながら叩くな。自分が好きなものを自分と同等のところまで引き摺り下ろすな。何かものを言う時は一回自分を省みてからにしろ。殺すぞ。

神様はいないし神様に祈るのは何か物事がダメになってしまった時に神様なんていないんだ、と、神様が存在しないことのせいにするためなんだろうなあ。もしいたとしてもそれは全知全能で全部の人間の運命を決めてるなんてことはなくて、なんとなく要所要所で災害を起こしてみたり奇跡みたいなことを起こしてみたりするだけで、それで人が死んだり蘇ったりしてもそれは神様の起こした事象の結果であって運命とかもないんだろうなあ。だから人が死んだからってそれに意味はないしそれぞれが勝手に意味を持たせてるだけで、は〜ぁなんも意味ねえ。

みたいなことを考えながら煙草を買いに行ったらいつも行ってる煙草屋が忌中で休みだった。いつもライターや飴やガムをくれて、「髭のあるのとないのとじゃあ全然違くて誰だかわかんないね」って言いながら僕の吸う煙草を2個出してくれてた婆さんが死んだっぽい。

婆さん81歳だったんですね。

2年ちょっと、週に4回くらい顔を合わせてた年齢どころか名前も知らない婆さんが死んで、何かの節目になるのかなと思ったけど僕の中にはまだその死に意味を持たせる土壌はできてなかったようで「今までありがとうね、ゆっくり休んでね」という気持ちになっただけだった。

必ずしも人の死に意味を持たせる必要はないし「今までありがとうね、ゆっくり休んでね」の気持ちで今は十分だよなと思うけど、このことをもし何かの拍子に思い出すことがあれば、それが意味を持つようになるときだといいなと思います。